なるみと読む徒然草 陶主日記
第八十段――時代の後ろ姿を読む
令和八年八月二十四日(月曜日)晴れ
午前五時十分、目覚める。
徒然草第八十段を予習。六時半、起床。
今朝の第八十段を読みながらまず感じたのは、兼好法師の生きた世が、かなり大きく揺らぎ始めていたということだ。
この段で兼好は、人が自らの本分を離れ、身に馴染まぬ分野を好む滑稽さや危うさを描いている。法師が武芸に心を寄せ、武士が貴族文化や風雅へと近づいていく。兼好はそれを、決して好ましい変化とは見ていない。
ここ数段を続けて読んでいると、同じような伏流が繰り返し聞こえてくる。社会の秩序が崩れ、人々の立つ場所が変わり、上下の境目すら曖昧になっていく。後世の私たちは、それを「時代の転換期」と一言で片付けることができるだろう。
しかし、その渦中に生きている兼好に未来は見えない。ただ、「世の中がどうもおかしい」「今まで通りではいかない」という違和感と苛立ちだけが、目の前の人々の姿を通して突きつけられている。
兼好法師は、時代を切り拓く改革者ではない。未来を予言する先知者でもない。時代の転換期に遭遇した、一人の観察者――「ウォッチャー」である。
ただし、その視線は決して中立ではない。彼はどこまでも、宮廷文化や貴族社会の教養と秩序の側に立っている。貴族が武士の力に迎合し、武士が貴族文化に浸食していく。後世から見れば、それは新たな文化が生み出されるダイナミズムだったのかもしれない。しかし兼好の目には、自分たちが大切にしてきた世界そのものが侵食され、崩壊していくプロセスに見えたのではないか。
だからこそ、この一連の段にはどこか潜んだ怒りがある。そしてその苛立ちの奥には、「自分の立つ場所そのものが消えていく」という静かな予感すら漂っている。
今日の輪読で改めて考えさせられたのは、「無常」という言葉の意味だ。
貴族社会が抱いた落日への無常感と、仏教が説く理(ことわり)としての無常はイコールではない。栄華の衰退を嘆き、愛したものの喪失や旧秩序の消滅を惜しむ感情は、仏法の無常観とは本質的に異なる。
兼好は当然、仏教の教えを知っている。しかし私には、彼が犀の角のごとく独り悠々と仏道を歩む修行者には見えない。彼はあまりにも世間を観察しすぎている。身分を見、作法を見、人の好悪を見、時代の変化にいちいち腹を立てる。思索を極限まで掘り下げ、一つの完成された哲学へ昇華させるタイプでもないように思う。
むしろ、
見た。
感じた。
気になった。
だから、書いた。
それこそが『徒然草』の本質ではないだろうか。一つの結論に辿り着かないからこそ、また次の段が生まれる。人間も世相も味わい尽きることがないからこそ、二百四十三段まで書き継ぐことができたのだろう。
鴨長明の『方丈記』と比べると、その差は明解だ。長明は時代の動乱から逃れ、自己の存在の根本へと深く深く潜っていった。対して兼好は、どこまでも世間に留まり、揺れる人間の姿を凝視し続けた。その意味で、兼好は実に人間臭い。そしてだからこそ、『徒然草』は時代を読むテキストとして面白く、味わい深いのだ。
ただ、兼好と共に思索を深めようとすると、その先は読者である私たちに委ねられる。兼好がわかりやすい答えを与えてくれるわけではない。彼が見つめ、書き残した「素材」を手がかりに、私たちが考えるのだ。
ここに、この「円座」が成り立つ理由がある。
表向きは徒然草の一段を紐解いている。しかし、私たちが本当に捉えようとしているのは、その文章の背後に広がる「時代」そのものだ。なぜ兼好はこれを書かずにいられなかったのか。当時、人々はどう変わり、何が崩れ、何が生まれようとしていたのか。
そして七百年後の今、私たちはどのような時代の変革の中に立っているのだろうか。
現代の変化のスピードとスケールは、徒然草の時代とは比べものにならない。だからこそ、七百年前の一人のウォッチャーが残した言葉を「窓」として、私たちは自分たちのいまを覗き込む。
古典を読み、
その背景にある時代を読み、
そして、現代(いま)を読む。
もしかすると、これこそが「なるみと読む徒然草」という円座の、本当の主題なのかもしれない。
今朝もまた第八十段を通して、文章の向こう側に広がる時代の景色に思いを馳せる朝となった。
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【原文】
人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
法師は、兵(つわもの)の道を立て、夷(えびす)は、弓ひく術(すべ)知らず、仏法知りたる気色(けしき)し、連歌し、管弦を嗜(たしな)み合へり。
されど、おろかなる己(おの)が道よりは、なほ、人に思ひ侮(あなど)られぬべし。
法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじょうびと)・上ざままで、おしなべて、武を好む人多かり。
百度(ももたび)戦ひて百度勝つとも、未だ、武勇の名を定め難し。その故は、運に乗じて敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮(きわ)まりて、つひに敵に降(くだ)らず、死をやすくして後、始めて名をはすべき道なり。
生けらんほどは、武に誇るべきならず。人倫に遠く、食糞(きんじゅう)に近き振舞、その家にあらずは、好みて益(やく)なきことなり。
【現代語訳】
人はだれしも、自分には本来縁の薄い専門外のことばかりを好みたがるものだ。
(例えば)出家した法師が武芸の道を主張し、東国の武士は弓を射る術も知らないくせに、仏法を知っているような顔をし、連歌をし、楽曲演奏などを嗜み合っている。
しかし、(専門外の芸に手を出す者は)つたない本業の専門家と比べるよりも、かえって人から軽蔑されるに違いない。
法師に限ったことではない。公卿や殿上人、果ては身分の高い貴族に至るまで、概して武芸を好む者が多い。
しかし、百回戦って百回勝ったとしても、それだけで武勇の名誉を確立することは難しい。なぜなら、勢いに乗って敵を打ち破っている時には、だれであれ勇者ではないと言われることはないからだ。兵士が尽き、矢も底をついて、それでも決して敵に降伏せず、潔く死を受け入れて初めて、名を残すことができるのが武士の道なのである。
生きている間は、武芸を誇るべきではない。人道から外れ、まるで野獣のような荒々しい振る舞いは、その家柄(本業の武士)でなければ、好んで手を出したところで何も得るものがないことなのである。














