食器も変わる

食器も変わる

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こんばんは。昨日の雨で注文していた筍はまずまずの出来栄えを頂くことが出来ました。今年はもう筍も終わりに近くなってきて、そんなにいいものも出てこないということでした。天候が4月になっても安定していなく、初旬の寒の戻りの様な寒さがあって、一気に夏日の様な、この季節にはなかった陽気が続きました。筍も陽気につられて出尽くしてしまったようで、でも昨日の雨は恵みの雨となり、今日は何とかいいものがとれたということでした。

早速朝掘りの筍をお土産に持って、工芸店様に出かけました。今回のお話は慢幕紋の筒向(つつむこう)を見せることです。私どもが古清水をはじめて4年になりますが、最初からこの筒向を作ることが最大の課題であり、また最終の作品になっていました。乾山の入り口に位置する作品でもあると真木さんは考えていたのでしょう。もう三年も前になるのでしょうか、京都国立博物館で「京焼展」があり、そこにも出展されていました。間近に見ることが出来たのは大変参考になり、その雰囲気がその時掴めたのも大いに為になりました。

一見、鉄と呉須の簡単な絵付けに見え、また造詣も同じく難しいものを感じませんが、実はそれがいちばん難儀な世界です。ごまかしの効かないストレートな轆轤で、古清水が持っている食器としての最高の贅沢である「品格」を作れているかという事に尽きるのです。今日明日で作れるものではない事がやっと分かって来ました。

面白い話に「乾山は京焼と云う事が分かった。」と4年前真木さんが云われた事をこの作品を作ることで私は実証したかったのでしょう。40年も一線で食器一途にやってきた人が、単にこの言葉を出したとは誰も思えません。しかし乾山陶器を本当に作るとなれば、相当の覚悟と度量がいることは間違い有りません。今までいかに乾山がうわべだけでとらえられてきたか、その様な食器が作られてきたか、真木さんはいやというほど経験されてきたのです。

有りがたい事にその事の重要性を知るきっかけを頂き、私たちは古清水の写しをベースに4年、作陶に打ち込ませてもらいました。薫陶という言葉がありますが、知らず知らずのうちに古清水が持つ雅さが私どもの仕事にも写って来てくれたのでしょう。筒向を挽く轆轤が何とも表現しがたい思いの籠ったものになりました。そのことが今日作品を見せて、真木さんに伝わったということはうれしい限りです。

また違った次元の器がこれから作られて行くことでしょう。大きな楽しみになってきました。

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