乾山写しは京都に行けばゴロゴロ山ほど出会うでしょう。今更なんで?ともお思いでしょうが、実は自分は焼き物を始めたときからいずれは乾山をという思いはしきりに持っていました。
五十を過ぎ、この頃は今まで経験した事が少しづつ発酵して来た思いがあります。やはりこの時期まで時間が必要だったのでしょうか。そんな事を思いながらようびの真木さんに背中を押されて、この3年間心に思っていた土を300キロ京都の土屋さんに作ってもらいました。
最低300キロがワンロットなので、まあ、最低のロットで購入いたしました。オリジナルの土です。この土で一本柱を立てることにしました。
かなり時間を掛けて考えた結果です。色々な展開が出来ると思います。鉄絵、呉須絵、色絵、化粧土の改良が急務の課題ですが、アイデアは面白いものが有ります。
はじめは簡単な雑器に鉄絵をしてみようと思っています。皿、鉢、湯飲み、飯茶碗。
HPに出しますので見てください。良かったら買ってください。
「都ぶり」という言葉を使って乾山陶器に迫っていこうと思います。元禄時代の都の、今で云う空気感がどの様であったか?チーム乾山が技術を駆使して新しい表現に挑戦していった作品が、いかに都の人々の美意識を駆り立ってていったか、今に通じる面白さが十分に汲みとれるのですが。
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