伏原窯工房日記履歴 22年6月第3週(6/13~6/19)

伏原窯ー工房日記22年6月18日
「毬文5寸皿」の絵付けの続きです。金の骨描きが終わり、赤と青をいれました。緑の部分を入れて裏へいきます。

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伏原窯ー工房日記22年6月16日
昨日は工芸店様に行ってきました。納品もし、乾山の見本も仕事になりました。絵付けの部分で課題をもらって帰ってきました。スキルアップしていきたいと思います。
しばらく私は自宅で毬文5寸皿を描きます。今日一日描いて金の骨描きが2枚。。。時間を濃縮してます(^^)

伏原窯日記22年6月16日 伏原窯日記22年6月16日


伏原窯ー工房日記22年6月14日
先日の焼きあがりを窯出ししました。十草文も綺麗に焼け、また乾山の見本も狙っていたところに来たような感じです。明日工芸店様へ納品と打ち合わせを兼ねて向かいます。いい結果になれば嬉しいです。

伏原窯日記22年6月14日 伏原窯日記22年6月14日 伏原窯日記22年6月14日
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伏原窯ー工房日記22年6月13日
すたっふM自宅よりー「乾山写し花文小皿」絵付けしてみました。後、上絵具の黄色を少し赤味が出るようにテスト調合しました。

伏原窯日記22年6月13日 伏原窯日記22年6月13日

乾山葵紋大鉢

こんばんは。関西は梅雨の晴れ間で、一気に気温が上昇しました。独特の蒸し暑さがとうとうやって来ました。工房の付近はちょうど湿気の溜まり場のようになっていて、ジワーッと床下から水が湧いてきそうな季節です。熱帯夜とまではいかなくても、徐々に亜熱帯雰囲気が醸し出されています。
夜11時頃になると、ついついワールドカップにチャンネルを合わせ、いけないいけないと思いながらも日付変更緯線を超えてしまうこの頃です。それほどサッカーに興味のない私ですが、やはりワールドカップは全然違って見えてきます。熱を上げている方にはたまらなく酔いしれる二週間なのでしょうね。ガンバレ日本、なんてね。

工房は乾山陶器の見本も焼け、また注文の十草紋汲み出しや飯碗なども綺麗に仕上がりました。昨日早速工芸店様に納めてきました。その日大阪梅田は土砂降りの大雨。ごと日も重なって車の渋滞がかしこに有りました。しかし予定の4時には何とか間に合うこともできました。

乾山葵文大鉢昨年越しの乾山葵紋大鉢です。端反りを抑えるようにということと、高台を広く取るということが課題でした。形はほぼ合格をもらったのですが、葵紋のバランスに少しコメントが付きました。駄目出しとまでいかないのですが、微妙な感覚的な御話になりました。
感性の一致という奇跡的な場面はなかなか望めないのですが、それでもコツコツと資料を集め、一つひとつイメージを作り上げてきた鉢です。ほぼ出来上がったものだと自負して居ります。真木さんも時間が経つうちにどう変化があったのか、「最初と違って見えてきた。これでいいわ。これがいい。」ということになりました。万歳三唱。ははははは。

ひとつ課題を頂きました。土の色を少し濃くしようということになり、テストピースを出すことになりました。信楽の水ひ土に種赤という黄土を混ぜるのです。この割合がなかなか微妙なもので、窯によって違うのですが、私どもは少し色を浅く持っていく傾向があります。濃いとコントラストが出て輪郭もはっきりするのでしょうが、そうすると私が出したい輪郭のゆらぎが損なわれると思うのです。しかしもう少し赤土を混ぜ濃くしたほうがよさそうに思います。そうすれば先ほどの葵のバランスも整ってくると合意致しました。

何といっても焼き物は、一に土、二に土、三に土。土が目的のものに合えば、全ての事は後から付いてきます。土こしらえで全てが決まると言っても過言ではないでしょう。もうひと踏ん張りいたしましょう。

伏原窯工房日記履歴22年6月第2週(6/6~6/12)

伏原窯ー工房日記22年6月11日
窯入りました!中身は昨日釉掛けしました京焼「十草文飯碗」「十草文飯碗(小)」と乾山写しの見本です。

 

伏原窯工房日記22年6月11日 伏原窯工房日記22年6月11日 伏原窯工房日記22年6月11日


伏原窯ー工房日記22年6月10日
お昼に貝塚ブランドショップの方が補填商品を取りに来てくれました。貝塚ブランドショップは南海貝塚駅前です。お気軽にお立ち寄りくださいませ!仕事は京焼、十草文飯椀、乾山の見本の釉掛けと釉直しをしました。明日は窯づめです。

伏原窯日記6月10日
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伏原窯ー工房日記22年6月9日
今日は延びにのびていました磁器釉薬ものの釉掛け窯づめの予定でしたが、大変なことになってしまいました。磁器釉のかけ違いをしてしまい、すべてやり直しになってしまいました。磁器焼成を心待ちにしてくださっている方々には、本当に申し訳ない気持でいっぱいです。今しばらくお時間をくださいませ。よろしくお願い申し上げます。
このアクシデントは私どもにとっても大ダメージでした。心機一転のためにも、磁器の窯が終わったら焼く予定だった乾山の見本と十草文の器の窯焚き準備に入りました。乾山葵文大鉢に絵付けをし、素焼窯に入れました。さぁ、明日も頑張りたいと思います!

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伏原窯ー工房日記22年6月8日
今日は月2回の火曜教室の日でした。ここのところ乾山の食籠(じきろ)が流行っています(^^)とても楽しそうに制作されていました。私は昨日に引き続き乾山葵文飯碗の絵付けをしました。

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伏原窯ー工房日記22年6月7日
今日は釉掛け窯づめの予定でしたが、陶主が体調不良のために延期になりました。日ごろの疲れに無理が祟ったのでしょうね。お疲れ様です。仕事は乾山の見本に絵付けをしました。

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十草紋大汲みだし、十草紋飯碗の窯詰め

こんばんは。初夏の清々しい御天気も明日限りの様です。日曜日から本格的に梅雨入りの模様です。家周りの草刈や戸湯掃除をしておかなくてはと思っています。蜜蜂の箱も雨対策をしておかなくてはなりません。南風にあおられて、雨が箱に入らないようにトタンで壁を作って置きました。蜂たちは今日もかいがいしく朝から蜜を集めに飛び立っていきます。梅雨なると活動がしにくくなりますね。どの様な状態になるのか観察したいと思います。

今夜はこの付近に蛍狩りをしに来る人たちで賑わっています。まだ早いと思うのですが、子供つれでタモまで持って来ています。昔、石川県の山中温泉よりまだ山に入ったところに住んで居たときのことです。この季節になると川の付近で無数の蛍が飛び交い始めるのです。周囲は鼻をつままれても分からないくらい真っ暗で、ただ川の音が聞こえるばかりの道を行くと、あるところに来るとなんとこの世とは思えないくらいの蛍の群れが、突然現れてきました。初めての光景で、家内と二人で言葉を失ってしまいました。

この季節、蛍に笹百合。定番ですね。山暮らしをしていて何とも嬉しいのが、この笹百合を探すことです。年々数が減って、私が大事にしている秘密の花園もめっきり少なくなってきました。今年人に頼まれたので、少し早めに山に入ってみたのですが、何とか数本確保できたくらいです。この百合を家内にあげると、とてもいい顔をされるので、こちらも嬉しくなってひとつ、またひとつと探しに行きたくなります。家中が何十本と百合だらけになって、何とも高貴な香りに包まれてしまいます。梅雨の湿った空気と官能的な百合の香りが、この季節の醍醐味になっています。

工房は十草紋大汲みだし、十草紋飯碗、乾山陶器見本の窯詰めです。すたっふMさんが昨日の釉掛けの手直しをしてくれたので、難なく窯詰めは終了。午後6時半、点火。明日朝まであぶり焼きをしていきます。

喝!

こんばんは。梅雨入り前の今日は穏やかな一日でした。竹の若葉が風に優しく揺らぎ、工房から見える景色にふと身も心も解放されていきました。身体に何もストレスのない一日って有りますね。大気と身体のペーハーが同一状態って、そんな感じかたをしているのですが。自然と融け合っているのですね。こんな日は、一瞬このまま死ねたらいいのに、なんて思ってしまいます。年のせいなのかな?静かにこのまま幸せを思い、なんてね。
心が定まらないからです。ふわふわしているのもいいのでしょうが。

今日の工房はどうもピントが狂っています。あほな事言ってる場合じゃないですよ。本日窯入れする作品の釉薬を間違えて掛けるという、何とも有りえない大失敗をしでかしてしまいました。オーダーの磁器七寸皿や蕎麦猪口諸々、、、。何を狂っていたのでしょう。疲れとか何やかや、、、とか、色々重なっているのでしょうが。ううううんんんん、、。初めてです。釉薬を間違えるなんて。心を切り替えようと必死ですが。

仕事を入れすぎているのでしょうが。もう一度自分を取り戻して、強い気持ちでやり直していきます。
早速乾山陶器に仕事を切り替え、今夜は見本の素焼きを始めました。午後11時半。素焼き窯終了の予定です。

喝!

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伏原窯工房日記履歴 22年6月第1週(5/28~6/5)

伏原窯日記22年6月5日伏原窯ー工房日記22年6月5日
陶主は磁気窯焚きのための準備に入りました。来週は磁器の窯焚きに続いて乾山の見本、十草文の作品の窯焚きとつんでおります(^^)「十草文汲みだし」の線引きが終わりました。

伏原窯ー工房日記22年6月3日
昨日に引き続き、Yさんがお手伝いに来てくれました。真空土練機を使って土の再生をしてくれました。削り土を運び土を練り、真空のかかるのを待ちと手間暇のかかる作業なので大助かりです。有難うございます(^^)土練機の隣に奈菜ちゃんの部屋があるので今日は外で昼寝をしてもらいました。心地よい一日でしたので、ゆっくりくつろいだ様子でした。今日の仕事ー陶主は乾山の見本の削りが終わり、化粧をかけました。私は十草文汲みだしの続きです。後、14個になりました(ほっ)

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伏原窯ー工房日記22年6月2日
昼から教室の生徒さん(Y さん)がお手伝いにきてくれました。真空土練機の洗浄をして土の再生をしました。その後、陶主は乾山見本の削りに戻り、私は一日「十草文汲みだし」の絵付けをしました。

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伏原窯ー工房日記22年6月1日
見本の制作が続くので作業工程が目まぐるしく変わっていきます。削り仕上げをするためには予め水につけておいたシッタを設置するところから始まります。私(すたっふM)も入門当初はロクロをさせてもらったことがありました。。。その話はまたの機会に(^^) 絵付けはひき続き十草文の汲み出しです。

伏原窯日記22年6月1日 伏原窯日記22年6月1日 伏原窯日記22年6月1日
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伏原窯ー工房日記22年5月31日
今日は朝から公民館のクラブの方が来られました。お昼からはななちゃんのお友達がちくわを持って遊びに来ました。仕事は陶主はかんな(写真左上)を研ぎ、削り作業に入りました。「乾山ー葵文飯碗」です。陶主のかんなはよく切れます(^^)私すたっふMは、「十草文汲みだし」の続きです。茶の線をひきました。口元に茶を、巻き仕上げました。まだまだ続きます。

伏原窯日記22年5月31日 伏原窯日記22年5月31日 伏原窯日記22年5月31日
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伏原窯-工房日記22年5月28日
今日の工房では、陶主は土練りからはじまり、工芸店様のお仕事「乾山写し葵文大鉢」の水びきをしました。
すたっふMは十草文汲みだしの絵付けの続きです。呉須線をひきました。

工房日記22年5月28日 工房日記22年5月28日 工房日記22年5月28日
工房日記5月28日 工房日記22年5月28日 工房日記22年5月28日

乾山葵紋大鉢はこれで

こんばんは。6月に入って気持ちのいいお天気が続きます。天気予報を見ていると日本列島がすっぽり高気圧に覆われていて、当分はこの様な穏やかな気候が続きそうです。私は梅雨に入るこの10日ほどの天候が一番好きな気候です。昔子供たちがまだ幼かった頃、よくこの時期の真夏日を狙って海に出かけて行きました。もちろん海岸に人気はなく、私たち家族だけが海水着を着ていち早く夏を満喫していました。今でも目を閉じればこの時期、山間の工房にいても当時の潮騒が聞こえてきます。赤貝やサザエと採ってきて、囲炉裏で炭をおこし食べたことが目に浮かびます。色々な思い出の詰まった季節です。

工房は土練機の掃除と磁器土の再生をしました。磁器土は教室で使うということで、生徒さんにも手伝ってもらうことにしました。真空土練機用のオイルがなくなったので、出光のガソリンスタンドで直接注文して買うことにしました。いつもは土練機の業者に頼んで2リットル缶を送ってもらうのですが、大変割高になってしまいます。業者から直接仕入れたほうがが安いと言われたので、近くの出光ガソリンスタンドを早速ネットで探してみました。出光GSくらい貝塚に有ると思っていましたがそれが一軒も無く、結局堺まで行くことになりました。土練機のオイルは思った以上によく使うので、20リットル缶一つあればかなり小まめにオイル交換する事が出来ます。まあこれで10年はもつでしょうか。ははははは。

乾山葵文大鉢

五時になったので生徒さんは帰り、明日に土練は持ち越しになりました。私は乾山陶器見本の削り仕上げに戻りました。今日は何回も駄目だしをもらっている、葵紋大鉢の削りです。先日このブログで紹介したように、自分の思っていた形と大きく違っていて、それじゃあ何べん作ったってアカンはずですわ。私が今まで思っていた鉢のイメージと大きく違っていました。今回でようやく形を出すことができそうです。大阪市立図書館まで資料を借りに行った成果があったと思います。この資料のお陰で色々な発見がありました。今後乾山陶器のイメージを作るのに大いに助かります。

今週も色々な仕事が入り組んでややこしいですが、来週月曜日には窯を焚きたいと思っています。お天気が続きそうなので乾山陶器見本を削り終え、早く白化粧を掛け乾かしたいと思っています。

5月の総括

こんばんは。とうとう五月も過ぎていきました。今月の大きなイベントは先週のクラブ創部20周年の展示会でしょう。総勢30名のクラブ員が初めて展示会を自主的にするとあって、こちらも時間と労力を惜しまず提供しました。いい評価を頂いたのはクラブ員もそうですが私も嬉しい事です。しかし美術、芸術、文化の理解は、単にセンスと云えばそうなんでしょうがなかなか伝達は難しい限りです。地道に色々な経験を積んでもらうしか、伝えようがないと実感して居ります。

気持ちのいい天気が続いています。少し肌寒いのも頭が冴えて云い感じです。月末の週初めもあって道路や銀行はすたっふMさんが云うにはすごく混んでいたそうですが、さすが貝塚、田舎ですね、そんなことは全く関係有りませんでした。難なくに会計仕事を終え工房に戻って来ました。

5月の総括

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乾山葵紋大鉢の水挽き

こんばんは。雨が上がり今日は清々しい一日でした。今朝は岸和田の市役所に用事があったので、久しぶりに岸和田城の周りを歩いてみました。空気は少し肌寒く感じたのですが、なかなか気持ちよく、見なれた街並みも新鮮に映りました。ここも捨てたもんじゃない、住むにはいいかもしれないなぁ、なんて思いながら旅気分で散策してきました。

こんな日はどこに行ってもそこが一番よく見えるものなのでしょう。しかし用事を終え帰って来た工房は、やっぱりここが最高。湿った土の匂にどこか安らぎを覚えるのです。


伏原窯工房より

私は周囲に緑がなくては生きてられない性格で、昔個展などで都会に一週間ほど居なければならない時などかなり苦痛でした。山々の自然の中で草木の些細な変化を見つけては喜び、鳥の鳴き声に目覚め、季節を感じという生活を長く続けてきました。今更どこに行こうなんてあまり思わないのですが、五月の新緑の風が吹くころは旅の気分に誘われるものです。

少し旅人の気分に浸りながら夢を見ているのですが、工房はいつも変わらず忙しく仕事を進めています。今日は乾山葵紋大鉢を水挽きしました。昨年から何度も見本出ししているのですが、なかなか合格しない品物です。口元が少し「は反り」していて、その部分の轆轤挽きがようびさんのイメージに合わない様です。本歌は乾山の小鉢なのですが、その形を使って大鉢にして下さいと依頼されています。こちらも形がつかみ切れず色々作ってみたのですがうまくいきませんでした。先月図書館から借りてきた乾山の全作品集的な本に、この本歌の高台部分が掲載されていました。なかなか見ることのできない写真でした。私の思っていた形と全然違っていたのにびっくりしました。長年やっていてこんなこともあるんだなと、勝手な思い込みを反省いたしました。

みこみは食器の命

こんばんは。季節が移行していくのでしょうか。目まぐるしく天候が変わっていきます。すっかり山の木々も色濃くなり、散歩に行く小路も小枝が生い茂り、鬱蒼としてきました。足元に動くものの気配を感じたりすると、それはマムシだったりします。びっくりしますよ。これから雨が多くなると工房の入口にも居たりして、なんだか気味悪いですね。本格的な梅雨になるまでには雨樋の掃除をしておきたいと思います。先日の大雨も我が家の屋根は滝のようになっていました。家の周囲が乾かないと、いろんな小動物や昆虫が、外も内も境なく入ってきます。それはそれなりに自然な感じで私は面白がっているのですが、うちの女子たちは気味悪がっています。当然ですね。今年は草刈も早めにして、風通しよくしましょう。

工房は再び乾山陶器に戻って、何種類かの見本作りをしています。先月工芸店様に持って行った「菊紋向こう付け」や「桔梗紋深向こう付け」など、少し寸法を変えて作っています。食器は一ミリや二ミリ口径や深さを変えるだけでも、だいぶ違って見えるものです。工芸店様の仕事は、その寸法に大変こだわりがあります。食器は口作りとみこみ(内側の形)、そして寸法が命です。それらを自由に操れるようになれば、食器作りは面白くなります。お料理がどの様に盛られ、どの様な状況で食べられるのか。色々と想像しながら、みこみを作っていきます。少しヘラの当たりを変えるだけで、みこみが変わり、それにつれて口造りが変わってきます。経験を重ねていくと、自然と美しいラインに到達します。決まった口径に決まった深さ、それが有れば誰だって同じものができると思うでしょうが、しかしそれも100人が100人違った形のロクロを挽きます。

乾山写し 梅文向付

「みこみが違う」とよくこの筋では云うのですが、このみこみの形では料理が盛れないというのでしょう。食器を作っている人たちがどれだけ「みこみ」を真剣に意識している事でしょうか。食器を作るなら、みこみに魂を載せるくらいの意識が有ってもいいと思っています。己の魂をそっとそこに置くくらいの繊細さが有って、初めて私は食器と認めたいくらいです。手造りの食器を手掛けているのですから、優しさ、繊細さ、軽さ、暖かさ、色々な感情や思いがにじみ出ていてしかるべきものでしょう。

金蘭咲く

こんばんは。今日は皐月晴れの心地よい一日でした。朝の散歩も今年初めての半そでシャツで、さわやかな風を心身に受け気分のいい思いで40分歩いてきました。野辺に咲く野草も光に輝き、鶯の音も木霊して心がのびやかになりました。今週の仕事はかなりハードなスケジュールになりそうなので、落ち着いた時間をキープすることに注意したいと思っています。

貝塚市の山手地区公民館が今年20周年を迎えることになりました。私どもの陶芸クラブも創立以来の伝統とあって、「創部20周年作品展」を開催する事になりました。貝塚市コスモスシアターの小ホールを借りて、作品展示とクラブ紹介を今月21日金曜日から23日日曜日まで開催いたします。その準備に先週から追われています。今日も午後から入れ替わり立ち替われ人がやってきて、準備のあれこれに指示を出していました。

十草文汲みだし

金蘭咲く

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再び陶器オーダーメイドについて

こんばんは。早いもので五月も半ばになってきました。しかし気候は三月の陽気と言っています。引き続き五月になっても寒暖の差が大きく、私たちの工房もストーブなしでは寒いくらいです。異常気候になれば暑くなっても温暖化、寒くなっても温暖化が原因ということになっています。それもいかようなものなのでしょうか。私にはよく分からないのですが。もっと何か違った要因も多くあるように思うのですが。といっても現実は各地にかなりの影響が出ていると聞きます。東北地方の農家の方々が一日の温度に神経立てているという二ユースを見ました。

工房は私が十草紋の大汲み出しをロクロ挽きしています。すたっふMさんは引き続き磁器七寸皿の素焼きに、呉須で牡丹紋の絵を描いています。丁寧にまた細やかに時間をかけながら絵付けをしています。大変贅沢な七寸皿になっています。オーダーメイドだからここまで時間をかけることができるのでしょう。インターネットが出てきて私たちの仕事も変わって来たと思います。HPを活用し色々な仕事を自ら作り出していく工房や、自らの作品を多くの人に発信している人たちも増えてきたと思います。しかし作品を創作し、またネットを毎日活用していくことは案外労力のいることだし、それだけの情報を日々出し続けることは難しい事ですね。単調な仕事からネットに上げる情報を紡ぎだすことは、それはそれで才能の一つだと思います。

私たちはHPでオーダーメイドの仕事を確立したいと思っているのです。工芸店に卸している仕事も、そこのお店のオリジナルとしてオーダーを掛けているのです。それは個人が私たちに発注鵜することと変わりがないと思います。私たちの仕事は量産に適しておりません。一つひとつ仕事のクオリティーを極限まで高めたいと思っているのです。そういう仕事は、ネットを活用しオリジナルを求めるお客様に呼びかけることが一番いいのではないかと考えています。

先週東京のあるお茶人から「玄猪香合」の依頼を受けました。今年11月下旬に釜を掛けるそうです。そこで季節に合うこの香合を使ってみたいと考えておられるようです。より深くオリジナリティーを求めていこうとしている事に、私たちは協力したいと思っています。一つひとつの心に丁寧に接する仕事を私は求めております。

陶器オーダーメイドから

こんばんは。山々にホウの花が咲き始めました。大型連休も済み山も静けさが戻ってくると白いホウの花が咲き始めます。またこの時期を境に木々の緑も一段と色濃くなってきます。フジや桐の紫が色めく存在感を主張しています。生命の躍動を感じる季節に入ってきました。

十草飯椀(小)ろくろびき

オーダーメイド「染付牡丹文7寸皿」工房はすたっふMさんが磁器の七寸皿に呉須で牡丹の絵を描いています。私は十草紋飯椀の小さい形をロクロ挽きしました。工芸店様の注文です。通常作っている飯碗より口径を小さく10センチにしてほしいという注文を、HPのオーダーメイドのコーナーに頂きました。何点か作らせて頂き一つを納めました。先月ようびさんから十草紋で大汲み出しの注文を頂きました。ちょうど子ぶりの飯碗が残っていたのでそれらを見本がてら持って行きました。いい見本になり汲み出しとともに小ぶりの飯碗まで注文を下さいました。お客さまのオーダーのお陰です。一つのオーダーもやはり大事に作らせて頂くと、いつ何に繋がっていくかわかりません。大事、大事。ひとつを大事にしなくてはなりませんね。

人との繋がりを、心の繋がりをもう一度考えさせられました。心を形に表していきたいと実感いたしました。私はお客様一人ひとりの思いを形にできたらいいという思いでHPを立ち上げました。この頃少しずつですが私の思いが形になってきたと実感しております。もっともっとこの思いを皆様と共有していきたいと思っています。

陶器オーダーメイドから

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ヘラ作りをしています

こんばんは。ゴールデンウィーク明けとあってか、今日はごとびといえども何となく車も空いていてお疲れ気味の月曜日です。

近頃工房は何かと気ぜわしくざわついて居ります。色々な仕事を入れているせいもありますが。最近磁器を復活させたので、以前と違って三本柱で仕事を進めています。一つに色絵を主体にした古清水系の焼き物。それには仁清も含まれています。また工芸店様からの乾山陶器の注文もたくさん頂くように様になりました。またそれに加え磁器の復活。一見磁器や土ものが混在してばらばらな様に思えますが、私には共通する物を感じて仕事を進めています。

特に磁器は窯の焼成方法も違うし、扱う原料も根本から変わって来ます。同じ工房でこの様に土もの、磁器ものの仕事をするということは滅多にないのですが、どうしても私は磁器を手放す思いになれず、またお客様の要望も増えて来て、今年から復活させることにしました。今は徐々にですがオーダーメイドを中心に仕事を進めています。今回も蕎麦猪口、七寸皿にオリジナルの絵付けをしセットでお使いになられるという方からの注文を受けています。因みに乾山も磁器の仕事をしているので、乾山磁器で新商品を考えて居ります。

今日の仕事は十草紋飯茶碗のシリーズもので「大汲み出し」と「夫婦茶碗」の寸法割り出し、それらに合わせたへら作りをしました。肌理の細かい土なので寸法や形状が少しでも狂うと、全く違った作品に見えてしまいます。故に慎重にへらを合わせていきます。

ヘラ作り

乾山陶器焼き直しの一件

こんばんは。皐月晴れの中、まさしくゴールデンウィーク真っ盛り。観光地は大賑わいです。この付近でもこんなところで渋滞という事が多く発生しています。私どもはいたって平常どうり仕事に進めているのですが、用事で外に出ると、農業公園には多くの家族で賑わっていたり、近くのアスレチックにもたくさんの観光バスでごった返していました。

工房はその賑わいからまだ山の奥に位置するので、静かに仕事を進めることが出来ます。
今日は注文の作品と以前焼いた乾山陶器の焼き直しを窯詰めしました。土曜日に薬掛けを終えていましたので、早めに窯に入れ午後6時には火を入れることが出来ました。

乾山陶器の焼き直しは釉薬が思った様に熔けていなくて、鉄絵の発色が鈍く眠ったような色合いになってしまいました。釉調は前のテストで合格をもらっていたのですが、釉薬の厚みや温度との加減がいまいち掴めない状態です。一般に釉薬を薄く掛けることには抵抗があるのですが、乾山陶器はどちらかと云えば作品全体が絵が主流になっているのでうわ薬は薄掛けされています。薄掛けし低温で焼かれているのですが、この様な状態では今の時代食器には不向きで用をなさないと思います。

そこである程度の温度で焼いてもマットな感じを残しつつ、また乾山陶器の風情おも感じさせる器を作らねばならない事になります。昨年より一つずつ色々な角度で乾山に迫っています。もう少しのところまでやって来たと感じているのですが。

今回焼き直しがどの位鉄が発色してくれるか大変楽しみにしています。ガツンと発色してくれたらもうそれでいいと云われています。少し温度も上げ気味に持っていこうか検討中です。

貝塚、木積の筍

地元の四季折々を紹介するコーナーです。春の山菜や夏の野菜、海の幸や山の幸、折々の風景を交え、人びとの 交流を紹介したいと思います。
 
はじめにを紹介致します。

知り合いに木積の宮下さんという方が居られますが、この方の筍は、大阪青果市場でキロ1千円以上の取引きがされる品物を作って居られます。


「朝掘りの筍」と云われますが、夜中午前2時から藪に入ります。地下足袋を履き、カンテラで足元を照らし、よく砥がれたトンガで、前日に入れた目印のところを掘ります。その地面はもっこりと少し盛り上がって見えるそうですが、私たち素人には到底見分けのつかない微妙なものです。宮下さんは藪の地下経を知り尽くしているのでしょうか、ただ取るだけでなく、何年も先の藪の姿を計算しながら、親として残す竹をうまく育てながら、いきいきとした竹藪を作っていきます。

手入れされた春の竹藪に入った事があります。こんな柔らかな陽射しに包みこまれた覚えは、遠い昔の記憶にある、母の胸に抱かれていたころの、甘く切ない幼いころの記憶以外に経験した事がないくらいに感動的でした。

竹取物語が幻想的なのも、昔から竹藪は日本人にとって時空を超えた、異空間を作っていたからでしょう。

竹と暮らしのお話は尽きることが有りませんねえ。

貝塚、木積の筍

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乾山の食器

こんばんは。気が付けば四月も半ば、桜もすっかり葉桜になっていました。御近所さんから筍のお裾分けが届きます。今日は朝からしとしと春雨になって静かな一日を工房で過ごしています。と云いたいのですが、、、、。
まとまった時間を作るのがこの頃難しくなって来ました。こま切れになった時間を継ぎ合わせながら、同じテンションで物を作っていくには、それはそれでなかなか修行がいるものなのですよ。独立してそのことが身に付かなければ、短時間に集中して仕事が出来ないと思います。山に籠って陶芸三昧、いいなぁ。私もやってみたいですね。(笑)

乾山陶器の見本をあれこれ作っています。今日はすたっふMさんが来てそれぞれの素地に白化粧を施すための下絵を描いています。先週この仕事のために近くの図書館に行って、乾山の全ての資料を借りて来ました。中にはかなり興味のある資料もありました。翌日大阪市の図書館に問い合わせると同じ作者でかなり量のある資料が見つかりました。早速すたっふMさんが借り出しに行きました。 三冊組になっていて、限定本なのですがある古本屋のネットでも売りに出ていたそうです。中身がよかったらかってもいいな、と思っているのですが。

また、「緒方光琳二代目 乾山」細野耕三著を読んでいます。色々な角度から乾山を見ているのですが、魅力ある苦労人です。詳細は次回に書いてみたいと思うのですが、時代を通じてファンを引き付けてやまない数々の食器は、彼の人となりともいえる繊細な心使いによるものだと痛感しています。

私が食器に固守するのも、乾山の食器に対する芸術性の高さによるものだと思うのです。京土産乾山焼は今のブランド物になっていたのですが、食器の量産といえども物によってはかなり高い精神性を含んでいたと思うのです。はたして食器に精神を表現出来るのか?近代の陶芸家は作品と普段作る食器を分けて考えていました。そのような分離のない心と一つになった食器を普段の仕事を通して作りたいと願っているのです。

乾山の食器

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仕事の流儀

こんばんは。今年の三月は寒暖の差が激しくて、裏山の木蓮もいっせいに咲いたのはいいのですが、先日の思わぬ雪にびっくりしたのでしょう咲ききらぬうちに枯れて来ました。情けなくしょんぼりしている様に見えます。かわいそうですね。各地の農作物もこの異変について行けず大打撃を受けているというニュースが有りました。

工房は乾山陶器の見本をあれやこれや作っています。一窯見本で焼きたいと思っています。二年近く掛け集めてきた材料が、やっと決まって来ました。しかし原料の安定した供給は望めなく、最近では廃業する業者が多く来ているので、絶えず新しい原料を手に入れてテストを繰り返していかなくてはなりません。

私は原料を調達する時の自分なりの流儀を持っています。今の御時勢インターネットなどで簡単に材料は宅急便などで送ってもらえるのですが、そういうことはどうなのでしょうか。私はやはり実際に現場に行かなくてはいけないと思っているのです。鉱山に行ってあれやこれやとお話を伺うのが、礼儀だと考えています。土になる前の原料を手にすることは、大変重要なことだと思います。石は意思を持っていますよ。伝わるのですね。その原料を土屋さんはどのようにして作っているのか、どのような機械で作っているのか、仕事場は整理されているのか。行くとまた多くの知識を得ることが出来ます。

陶土を作る事は大変な仕事なのです。私も山から自ら掘って来た土を使うこともあるのですが、精製し成形出来るまでどんなに手間がかかるか、充分体験しています。弟子のころは木根で土を砕き、スイヒ層に入れ何日も掛けて土を作りました。いい土を作るには作り手の思いや願い、哲学が重要です。そんな手塩にかけた陶土ですから、まずは挨拶が必要と考えています。

色々な特殊な材料が窯業地でもないこの地に集まって来てくれるのも、私には大変ありがたいまた誇れる流儀の一つだと思っています。

仕事の流儀

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灰も渥も使いよう

こんばんは。桜の開花が普段と違っています。気温の変化が桜のセンサーを狂わせているのでしょうか?いつもなら先に咲き始めるところが後先になり逆転している開花している状態です。私自身もうまく季節に乗っていかない様に感じています。

工房は乾山陶器の釉薬が解決して、色々な作品の見本出しになりました。乾山の釉薬はどちらかと云えば灰マットな釉薬です。一番苦労するのはどの灰を使うかです。調合自体は簡単な構造になっているのでしょうが、化学的に調合された灰、合成灰を使っての調合ではきれいに仕上がるのですが何かもの足りなさがぬぐえません。

八木一夫先生は、「灰も生きている。」と表現されていましたが、ここでいう「生きている」は、灰の渥(アク)の事を言っているのです。焼物で使う灰はアク抜きがされたものを使います。紺屋灰という灰があります。紺屋さんが染めでアクを使い、その残りの灰を焼物屋が使うという昔ながらのリサイクルです。今では灰自体も貴重品になっています。そこで科学的に調合された灰も時々テストで使ってみるのですが、今回使ってみて何か物足りなさを感じたのは、やはり灰特有のアクがない事だったと思います。昔からアクも使いようと云われています。アクは釉薬本来の色合いにあまりいい影響を与えませんが、と云ってアクを全て殺してしまうと、焼もの独特の釉薬や生地の焼き色がうまく表現されません。

今回色々なテストをして一番適した釉薬は、私共で青磁釉として調合し粉引きにも使う陶石立ての灰釉でした。天草陶石6、特選いす系灰4、簡単な二成分立ての調合です。

私にはなかなか想いれのある調合なのですが、今回これが乾山陶器に使えるとは深い因縁を感じます。私が乾山陶器から始まっていたら、きっとこの灰には巡り合っていないでしょう。適した原料に巡り合うということは、すでに目指す焼き物が出来上がったということに等しいと思います。

色々な原料に巡り合って来ました。今となっては貴重なものが多くあります。私しか持っていないものもたくさん所持しています。30年もまたもっと前から巡り合った原料が、この仕事のために必要だったと思われる瞬間があります。この様な出来事に会うたびに陶芸の奥深さを感じるこの頃です。

灰も渥も使いよう

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乾山陶器のベースはこれで

こんばんは。今日は一日冷たい雨が降っていました。咲きかけている桜も縮こまって、寒そうに震えているようでした。どこかかわいく健気にも思えて来ます。

一昨日焼きなおした乾山土器皿は、輪郭がしっかりと現れ、コロコロした雰囲気が面白く焼き上がりました。今日は雨の中、梅田にある工芸店様に品物を納めに行きました。「ずいぶん久しぶりな様に思えるのですが。」と店主真木さんに言われてしまいました。「乾山陶器の釉薬の試行錯誤に手間取っていまして。」と言い訳しています。

釉薬のテストはかれこれ十種類くらいしてみました。いつものことですが、必要なものはとっくに手に入っていて、ただそのことを確かめるためにテストを繰り返しているように感じています。最初からど真ん中なものを手に入れていても、本人は分からないものなのです。自信がないのですね。自信が出来るまで、テストをするのですね。

ようやく何点か絞り込んで今日は見せることが出来ました。私が一番に推す釉薬がすんなりと決まりました。私どもで古くから使っている釉薬です。不思議を感じます。もう25年近く使っているものが、この仕事にもまた使うことが出来るということに縁を感じます。

「この灰はなんなの?」と聞かれますが、私もなになにとはっきり言えないもののようです。偶然ある業者で手に入れた内容のはっきりしない灰なのですが、なかなか重宝しています。またこの灰を使って今度は乾山陶器オリジナルを調合していきたいと思います。

今回は白化粧も少し変えてみました。一般的に使う蛙目土の代わりに白絵土というものを使っています。以前より白さが増した様にも思います。もう少し手を加えてみたいと思うのです。乾山陶器の土台になるものが大体そろって来ました。いよいよ専念して行ける状態になりました。今日もたくさんの注文と研究材料を貰って帰って来ました。

あれもこれもやってみたいことが実現しそうで、うれしくなっています。明日から頑張りましょう。

乾山陶器のベースはこれで

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懐石食器のこころ

こんばんは。山桜があれよあれよと咲き始めました。梅、椿、桜、それに山つつじまでも咲きだし、なかなか今年の三月は珍しい山の景色になっています。何か落ち着かない気持ちです。桜が咲いたことを素直に喜べないのは、今年も何かに追われている慌ただしさから解放されていない思いだからでしょう。

今日はJコムで流す地方番組の撮影がありました。泉州の伝統技術を紹介するそうです。午後1時過ぎにやって来て、5時ごろまで色々な場面と撮っていきました。こちらも地元の番組とあって大分サービスをして、轆轤のシーンなんぞまで提供しました。食器の話を中心にあれやこれや焼き物が持っている心の部分まで話してみましたが、そのことをマスメディヤで伝えるには難しいと思います。しかし少しでも食器の奥深さが伝わればと思っています。

食器にこだわりあらゆるデザインを形にしたのは京都の工人達だと思います。中心になるのはやはりお茶の文化でしょう。色々な茶人が自分の好みを実現するのに、各窯業地に型紙を送り、その型通りの器を作らせています。また南蛮貿易なども盛んだったので、安南(ベトナム)やスンクローク、スコータイなどインドシナまでも注文しています。中国明にも通称「古染付」と呼ばれるものを景徳鎮に発注しています。茶人が色々な発想でまた色々なデザインを駆使し懐石食器を作った事が、今の食器世界の古典となっています。

京焼は京の文人茶人が地方の窯に発注するより自らの地で作らせようと試みた事が始まりのように思えます。需要があり各地の陶工がやって来て盛んに茶事の器を作った事でしょう。

乾山陶器は懐石の器を日本情緒あふれる独特の世界に昇華させました。先にも後にもここまで斬新的に食器を作った陶工はいません。食器の奥儀を極めつくした感があります。
日本人のこころ、食器のこころを表現したいと心から思うこのごろです。

乾山の王朝復興

こんばんは。今日は午後から晴れて来ました。驚いたことに山桜が咲き始めたのです。ここにきて25年になりますが、御彼岸もまだ来ないうちにこの様に咲いたということは初めてです。驚きと共に何か困惑しているようですね。

乾山はよっぽど土器皿が好きだったようですね。土を変え色々な形態のものをたくさん作っています。何ともかわいらしく、手作り感一杯の風合いがいいのでしょう。

日本固有の焼き物の一つに「楽焼」があります。この焼のもは手びねりで全てを作っていきます。轆轤は使うのですが、いわゆる量産用の轆轤とは違って、小轆轤といわれる小型のものです。土の塊をその轆轤に載せ、手でたたきながら土を伸ばし板状にして、その上にひも状に伸ばした土を付けていく技法です。何も変わった方法でもなく、むしろ大昔から行われていた伝統技法です。縄文土器や弥生土器のこの様に作られたものでしょう。

量産に使われる轆轤が入ってきたのは、須恵器以降とされていますが、その前にも轆轤は使われていたとも言われていますが。弥生土器の流れが須恵器にとって変えられたと云うとそうでもなく、神事に使われる器はずっとそのまま弥生土器のようにてひねりで作られていました。このことに乾山は意識したかどうか定かではありませんが、てひねりを主体にした作品が多く見られるのは、偶然とも思えませんが。その辺が乾山の先生にあたる仁清との違いのようにも思えます。乾山がデザイン上からこの様な焼ものを好んだというより、日本固有の伝統を意識していたのではないかと推測するのです。

王朝復興を乾山は美術の世界で実現しようとしたのかも知れません。私はそのように思っているのですが、他の京焼との大きな違いと受け取っているのです。それの意識の違いが作品を独特の世界まで昇華させているとも思っているのです。

乾山の王朝復興

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乾山陶器、釉薬テスト考

こんばんは。春を呼ぶ嵐がこの何日間吹き荒れています。今年はどうも桜の開花が早いようで、この辺の山桜も色づき始めています。気が付けば来週は御彼岸、春分の日ですね。絵付け工房は桜が終わり、もう5月の青もみじに移っています。季節を追う仕事ですが追い切れないものも山ほど溜まっています。頑張らなければ。(笑)

乾山 土器皿 花

工房は乾山土器皿を作っています。昨年納めて、本年そうそうようびさんのHPで紹介しました。アップした瞬間に売り切れたそうです。数も五枚組で二組限定ということも手伝ったのでしょうか。作品としてはかなり上質に仕上がったと思っていましたが、反応の速さに驚いています。仕掛けもよかったのでしょうが、受け手の方々が敏感に対応してくれたことに喜びを感じて居ります。その追加を四組頂いています。今日はその絵付けをすたっふMさんにしてもらいました。

乾山を実際に写し始めるとその奥深さに驚き、またその魅力に取りつかれて行きます。一見素朴に見える轆轤や絵付けも全ての線に神経が行き届いていて、器の機能を十分満たしながら斬新な構図でこんなにも新しい食器を作りだしたことに改めて感心しています。

乾山陶器は初期から絵高麗をベースにしていました。今でいう北宋の磁州窯ですが、この陶器は白化粧施をベースに鉄絵具で自由奔放な雅趣あふれる絵が描かれています。乾山はこの陶器から白化粧の技法を学び、意識的に意匠に取り込んでいきました。
乾山ほど白化粧をデザインした作家は陶磁史にはなかったと思います。乾山のベースは絵画を器化することでした。絵画が器になり用を満たし、料理と一体になっていく。その絵画の基本もまた王朝復興が主題になっています。紋様も天皇ゆかりのものが多く使われています。桐と菊、また椿も多く用いられています。新しい技法を貪欲に開発していく姿を器の中から見ることが出来ます。写しながら感心することの連続です。

前回の窯に乾山陶器専用の釉薬をテストしてみました。乾山当時の窯と今我々が使用している窯は大きく違っています。一番の違いは熱効率が断然違います。もちろん今の窯は少ない燃料で素早く焼けるように出来ています。土もそのような窯に合わせて調合されています。そのような焼け方の違いを十分理解しながら古典に迫っていこうとしています。乾山の釉薬は決して難しい調合ではありません。石と灰、ただそれだけのように思われます。しかしどの灰なのか、どこの長石なのか、またその石や灰が分かったとしても、今の窯では乾山は焼けません。今の窯に合う石と灰を探さなくては焼けないんですね。

鉄絵や呉須絵が主体になっているので少しマット風な落ち着きのある釉薬を多く用いています。このマットをカオリンのアルミナからとるとカオリンマットになります。しかし乾山はそのマットではなく、灰から来るシリカ系のマットです。このマットは品が良く私も気に入っているのですが、大変微妙な調合を必要とします。私はあまり神経質な調合を好みません。大らかで簡単な調合の中から品のある釉薬を目指しています。

これからも乾山やっていきます

こんばんは。啓蟄も過ぎいよいよ春めいて来たと思いきや、ここ何日かは寒さがぶり返して参りました。年度末、どこも皆さんかなり厳しいようで、昨年の決算もまた数字が伸びなかったようです。この業界もご多分にもれず、どん底を這っているようです。各地の窯業地はどこも壊滅状態だと聞きます。みんな、生きているかぁ、がんばってるかぁ!連絡待ってるでぇ。

昨年は淘汰の時代なんて言っていましたが、すっかり時は変わってしまい、残っている陶家もまばらな状態になっています。自分がひき籠っているせいか、皆さんと連絡を取らない事が禍っているのでしょうが、全くと言っていいほど個展等の連絡は入って来ません。心配になって、少しは百貨店などにも顔を出そうと思いますが、億劫さが先に立ち、目の前の仕事にかまけている状態です。

今日の工房は「色絵青もみじ紋向付」の薬掛けをしました。明日窯に入る予定なので、窯の棚板を掃除し、窯詰め準備は完了しておきました。

乾山陶器を進めているのです。釉薬のマチエール、我々は釉調と云いますが、今の窯は釉薬の表面をきれいに溶かすように出来ています。どうしても表面のてかり具合が気になるようで、何とかこの窯を使いながら、沈んだ釉調を実現したいと思っています。

明日テストピースをいくつか作ろうと考えています。それを窯の根、一番温度が低いところ、と中間部分、それから天井、一番温度が上がるところ、にそれぞれ置いてみようと思います。釉薬のテストは5種類くらいになるでしょうか。微妙なところを攻めていくので、机上の計算通りには事が運ばないかも知れません。しかし結果はわれわれの宝ものなので、こつこつ進める以外に手はないと思います。

どのような世の中でも、丹念に手を抜かず、いいものを目指す以外われわれの生きる道は有りません。食器を通し、一つでも繋がる心を探していきたいと思っています。

乾山土器皿を思う

こんばんは。二月も今日で半分が過ぎてきました。二月逃げる、三月去るなんて言いますが年度替わりで、明日から確定申告も始まり、ますます慌ただしくなって来ます。
今日の巷は「バレンタイン」なんかで、華やいでいるのでしょうか?わたくしなんぞは、とんとお呼びも掛かりません。当たり前ですが。

工房は今日、昨日焼き上がった窯を出しました。難なく無事に温度は上がり、新作の千鳥紋小皿もかわいらしく仕上がりました。乾山陶器の釉薬テストも三種類入れました。予想していた以上に釉薬が融けていたので、今後の展開を考えるに、今一度テストを重ねていきたいと思います。

私どもの作品は古典が重要なベースになっています。新しく物を作るにしても古典からの写しを一度試して、今使える器に転化させていきます。一昨年から工芸店様との関係で、乾山陶器に力を注ぎ込んで来ました。京焼きの頂点とされる乾山の食器は、仁清や他諸窯の陶器とは全く異なった趣があり、単にデザインや様式を写したところで乾山陶が醸し出す王朝陶器にはなっていません。

今私たちが一番苦労しているところは、釉調の部分です。所謂素地のマチュールの所です。乾山の特徴は、歴史上かつてなかった芸術性の高い絵画陶器であるということです。もちろん光悦、宗達、光琳の琳派が大きく影響しているのですが、世界の焼き物技法を駆使し絵画化させた乾山陶器は今も陶器愛好家の羨望の的です。またその殆どが懐石食器に集中しているのも、特徴の一つではないでしょうか。私は主にその食器の世界を作ろうとしています。

乾山写し 桐文土器皿昨年末乾山土器皿をようびに納めました。土器皿なんて聞きなれない言葉でしょうが、今も日本で土器を作っているところもあるのです。神事に使う器はかわらけ(土器)と云い、素焼きの姉さん程度の温度で焼いた無釉陶器を使います。それを専門に作る方も昔は居られたようです。土の塊を肘に当て、形を出していくところを写真で見たことがあります。実際の現場は伊勢神宮かどこかで見た様に記憶しているのですが、定かではありません。

乾山はこの土器皿を模したのでしょう。当時土器皿が各諸窯で流行ったという文献もあるのですが、乾山もまた色々な技法を使い、独特のデザインで見事に絵画陶器に高めています。私はその一端を探りたくて、今回土器皿に挑戦してみました。自分でも面白いように難なくイメージが出来、工芸でよくいう「手なり」の仕事が出来ました。

いい土に出会い、自分の持っている世界がすんなり出てくると、自ずといい食器が生まれるのだと、実感する事の出来た仕事でした。これからも奥深い幽谷を一歩一歩進んで行きたいと願っています。

乾山土器皿を思う

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