大阪市立東洋陶磁器美術館「浜田庄司展」へ

大阪市立東洋陶磁器美術館「浜田庄司展」へ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

こんばんは。夜からまた雨が降り出しました。北の方では大雪の様子ですが、ここも夜中には雪に変わるのでしょうか。といってもそれほどの冷えが来ていないのですが。どうでしょうか。天気予報はどうも大げさな感じです。

今日は陶芸クラブの初稽古です。昼の部、夜の部のみなさんも元気に出て来て下さいました。クラブの最後は恒例の茶話会で、お正月の皆さんの楽しいお話を伺います。まだ、正月気分の抜けない方の居られるようで、明日伏見稲荷にお参りに行くということです。京都はきっと大雪でたいへんやでえ、なんてからかわれていました。

浜田庄司ー大皿 今日から大阪市立東洋陶磁器美術館で「浜田庄司展」が有るということを言われました。日曜日にでも行ってみようとおっしゃる方がおられました。どうも新聞に紹介されていたようで、神戸のコレクターの作品80点を紹介するという企画の様です。関西は案外民芸ファンが多く残っていて、今でも人気が高いです。万博公園には民芸館もあり、アサヒビールの大山崎美術館には多くの浜田先生の作品が展示されています。神戸にも多くのコレクターが居られるようで、この展示会もその方面の方のようです。何と云っても、民芸運動の推進者で有名な人は大原さんでしょう。私はまだ行く機会がないのですが、「大原美術館」は民芸運動の核となった大きな存在でした。

そもそも民芸とはいかなる運動だったのでしょうか?柳宗悦の唱える「民衆の芸術」。所謂名もなき工人の日日の用に即した工芸を指して、その美しさを発掘とともに創造するという運動のように思います。ここで「工芸」と言う言葉が出てきますが、今では皆さんも共通概念がありますが、この言葉は柳先生や浜田先生が、昭和のはじめに「工人の芸術」という概念で作った言葉です。しかしかれこれ80年も経つのでしょうか。私が陶芸を始めた頃は、工芸はまだ一つランクの下の芸術とされていました。明治の頃はもっとひどくて、第二芸術なんて言われていたのですから、時代を感じます。工芸は工芸で、芸術なんてものではないという、何か面白い自負があって、用に徹していないものを横目で見ていた感がありました。今はそんなことも言っていられないような危機に面していますが。

もう一度「用」を考えてみたいといつも思っています。浜田先生の作品は大らかな轆轤味が魅力で、卓越した技術は、明晰な作品を生み出しました。先生の理性の大きさを感じます。世界に通じる共通の言葉で、作品を当時作ったことは、それも益子という田舎の焼き物を土台になし得たということは、多くの工芸を志す者に大きな希望を与えたことでしょう。世界のあらゆる焼き物を地元の材料で作り変えていく中で、工芸の可能性を大きく開いていかれたように思います。

この記事の関連キーワード