こんばんは。今日は金曜日なので陶芸クラブの指導に行って参りました。年度末や雨の影響なのか参加人数は少なかったのですが、昼夜いずれの参加者も熱心に作陶されていました。今日は一人一人に掛ける時間がたっぷり有ったので、陶芸の深いところまで伝えることが出来ました。手作りの面白さが私と共有出来たら、色々な技法を通して作品に対しての心遣いを伝えることが出来ます。
柔軟心という言葉がありますが、たおやかなで柔らかな心がいい作品を作る一番の心なのでしょう。そんな心が出てくるにはやはり人との信頼関係が重要なのでしょう。心と心が通じ会う面白さは掛けが得のない時間となるでしょう。
公民館という地域に根差した公教育の現場ということもあって、地域に開放されていることも大きな要因なのでしょう。20年携わっていますが、延べ人数から言えばかなりの人と陶芸を通して交流してきました。私もこのクラブを指導することで大いに育ててもらいました。若い時には気負いもあって強い指導をしてきましたが、年と共に私も陶芸感が変わってきたのでしょう、指導内容も大きく変化してきました。面白い事に今かなり難しい内容の陶芸をしているのですが、初めての人もそれを素直に受け止めてくれるのです。微妙な柔らかいライン作りなどを指導することは、昔はなかなか相手に伝えきれなかったのですが、この頃は生徒さんもすんなり受け止めてくれるようになりました。
言葉以上にもっと違ったことで、共有している心が伝えられているのだと最近思うようになりました。大事なところです。これは私がいる工房にも言える心だと思うのです。伝えられる心が作品を生む原点だからです。土くれを一ひねりすることに、いちいち心を込めていくことは大変な行為だと思うのですが、作品の重みとなると断然違った意味が出てきます。人それぞれの思いの行為として作品が出来上がってくるのですから、それはひとひねりの地味な作業の連続の中に自分自身を見ていく行為だと思うのです。それは哲学なのです。どうしても私と陶芸をするとそのようになるのでしょう。考える行為を課してしまいます。感覚で作る人にはつらい指導になっているのでしょうか。しかしどの道を歩むにしても、最終には同じ門を通らねば先に進めないと思います。
今日も陶芸の仲間と会えて楽しい時間を持つことができました。有難うございました。
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