こんばんは。季節が移行していくのでしょうか。目まぐるしく天候が変わっていきます。すっかり山の木々も色濃くなり、散歩に行く小路も小枝が生い茂り、鬱蒼としてきました。足元に動くものの気配を感じたりすると、それはマムシだったりします。びっくりしますよ。これから雨が多くなると工房の入口にも居たりして、なんだか気味悪いですね。本格的な梅雨になるまでには雨樋の掃除をしておきたいと思います。先日の大雨も我が家の屋根は滝のようになっていました。家の周囲が乾かないと、いろんな小動物や昆虫が、外も内も境なく入ってきます。それはそれなりに自然な感じで私は面白がっているのですが、うちの女子たちは気味悪がっています。当然ですね。今年は草刈も早めにして、風通しよくしましょう。
工房は再び乾山陶器に戻って、何種類かの見本作りをしています。先月工芸店様に持って行った「菊紋向こう付け」や「桔梗紋深向こう付け」など、少し寸法を変えて作っています。食器は一ミリや二ミリ口径や深さを変えるだけでも、だいぶ違って見えるものです。工芸店様の仕事は、その寸法に大変こだわりがあります。食器は口作りとみこみ(内側の形)、そして寸法が命です。それらを自由に操れるようになれば、食器作りは面白くなります。お料理がどの様に盛られ、どの様な状況で食べられるのか。色々と想像しながら、みこみを作っていきます。少しヘラの当たりを変えるだけで、みこみが変わり、それにつれて口造りが変わってきます。経験を重ねていくと、自然と美しいラインに到達します。決まった口径に決まった深さ、それが有れば誰だって同じものができると思うでしょうが、しかしそれも100人が100人違った形のロクロを挽きます。
「みこみが違う」とよくこの筋では云うのですが、このみこみの形では料理が盛れないというのでしょう。食器を作っている人たちがどれだけ「みこみ」を真剣に意識している事でしょうか。食器を作るなら、みこみに魂を載せるくらいの意識が有ってもいいと思っています。己の魂をそっとそこに置くくらいの繊細さが有って、初めて私は食器と認めたいくらいです。手造りの食器を手掛けているのですから、優しさ、繊細さ、軽さ、暖かさ、色々な感情や思いがにじみ出ていてしかるべきものでしょう。
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